NIKEの共同設立者、フィル・ナイト。
彼が歩んできたNIKE設立への道のりはどのようなものだったのか。
NIKEのような巨大な企業を築き上げた人物がどんな想いで・どのような行動をしたのか、自分なりに身にできるところが見つかるかもしれません。
今回はNIKEの前身の会社である『ブルーリボンの設立』についてみていきましょう。
ブルーリボン社
■出発の相談
戦後の傷が完全に言え切っていないころ、日本のカメラが世界に羽ばたき始めた時代のことです。
陸上で中長距離の選手だだったフィルは、日本のスポーツシューズにビジネスの可能性を感じていました。
ある晩、父親に相談しました。「世界を旅したい。そして日本のスポーツシューズの輸入をしたい」と。
フィルの父親は堅実に生きてきた人であり、企業ましてや戦争で相手国だった日本の靴というのは、納得してくれるか不安だったようです。
しかし、心配に反して父親は世界旅行に関しては賛成でした。靴の輸入販売業についてもすぐに飽きるだろうと思っていたのかもしれません。
■日本へ
日本のオニツカ社の製品『タイガー』に語れていたフィルは、オニツカ社を訪問することにします。
日本に到着し、オニツカ社を訪れると、オニツカの社員であるミヤザキ氏たちがお辞儀をして丁寧にもてなしてくれました。
■ブルーリボン
オニツカでは、靴を作る工程を見学したのちに会議室で話をする場を設けられました。ここでもフィルは上座に案内され、歓迎されていることがわかります。
ミヤザキ氏たちと話をしているうちに、フィルがどの会社に属しているのか質問されました。
企業どころか、どこにも就職していない状態のフィルは、この質問に動揺します。
そして頭に浮かんだ言葉を口に出すのです。それが『ブルーリボン』でした。
これがブルーリボン社の始まりになります。つまりNIKEの前身となる企業の始まりです。
実はこの時オニツカ社はちょうどアメリカへの参入を考えていたのです。
10億ドルほどの売り上げが期待できるといったフィルに対して、オニツカ社はアメリカでの代理店契約を結ぶのでした。
■帰国
帰国する前に、世界を旅してアメリカに戻ったフィルは、オニツカからのサンプル品の到着を待ちます。
サンプル品が届き、美しさに惚れ直したフィルは大学時代の恩師と接触を図ります。
彼はオレゴン大学時代の陸上のコーチであるビルバウワーマンです。
ビルバウワーマンは、選手たちの靴を自作するほど「クツ」に関して深く興味を持っておりました。
フィルからオニツカ社のシューズを見せてもらったビルバウワーマン、彼もまたオニツカの靴に見惚れた一人になりました。
フィルとすぐさまパートナーシップ契約を結んだビルバウワーマンはそのまま靴の注文をフィルに依頼しました。
オニツカに手紙でシューズの注文をしたフィルは、シューズを送ることと、「アメリカ絵の独占契約」を持ちかけました。
オニツカからシューズと手紙の返信が届きました。
独占契約の返答は「イエス」でした。
■不穏な空気
その後、仕入れ分を順調に打っていたフィルですが、ある日オニツカと独占契約を結んだという男が現れました。
これに怒りを覚えたフィルは、何通も手紙を書きますが返信がありません。
この時フィルは再び日本へ行き、オニツカを対談の場へ出させることを決めたのでした。
参考: 東洋経済新報社 (2017/10/27) ,『SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 Kindle版 』フィル・ナイト (著), 大田黒 奉之 (翻訳)
コメント